パクリとオリジナリティをラーメンから考える

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古今東西、パクリだのなんだのって話は尽きないわけで。


どんなにちっぽけでもいいんだけれど、なにかしら自分で創作したことのある人、もしくは創作を試みた経験ある人なら、簡単にパクリだなんだ言わないと思うんですよね。

自分らしさ、オリジナリティってそう簡単にだせるものじゃないんです。こういう言い方をすると、パクリ擁護派みたいに聞こえるけれど、まあちょっと待ってほしい。


あと、この記事は素人が自分の見解をつらつら並べているだけなので、ふーんこういう考えもあるんだくらいで読んでください。よろしく頼みます。

 


ぼくは基本的に、ゼロからオリジナリティを創出するなんてことはごく一部の天才にのみにできることだと思っている。

誰だって、自分で創作してみよう、と思うきっかけとなった先人がいる。それはまさしく影響を受けたアーティスト、なんて言われるわけだ。これがいない人なんてありえない。最初は誰しも、「こういう風にかっこよくなりたい!」だ。中学生がTMGEに憧れてギターを買ったり、久保帯人に憧れて授業中ポエムを作ったり。誰とは言わない。とにかく、物心つく前から教えられていたみたいな環境を除けば、基本的に憧れの存在なくして創作はない。

で、それら先人たちの先品に触れるときは、必ず自分なりの受け止め方っていうフィルターが存在する。ああ、この人の考えかたはかなり極端だけど夢があるな、とか、こいつのスタイルは俺はダサいと思うけどどうやら人気はあるようだな、とか。そうやって自分では意識せずとも、先人の影響は自分のなかに溜まっていく。その溜まっていったものの総体というのが、つまり自分の世界観になる。

そして、憧れの存在が自分にとって大きな存在であればあるほど、自分のなかから影響力を排除するのは難しくなる。そりゃそうだ。醤油ベースのスープから醤油の匂い消してみろ、なんて無理でしょ、そういう話。


オリジナリティっていうのは、さっき出した「自分なりのフィルター」の作用が極端に強いひとが出せるもの、とも言い換えられる。そういうひとはだいたい常軌を逸している。

凛として時雨なんか一番わかりやすいでしょう。あんな音楽他では絶対に聴けないし、真似もできない。詳しくなくても、誰もが「ああこいつらよくわからんけどヤバイことやってる」ってなる。

殆どの人間はそうじゃない。そういう意味で、オリジナリティってそう簡単にだせるものじゃないって言ったわけです。

言ってしまえば、さも自分の考えです!みたいに書いてるこのページも、実は以前僕が読んだ話を違い言い方表現に変えただけかもしれない。実際あるんですよ、この考え方って斬新かつ的を射ている、、これを記事にすればバズること間違いなし、、って思ってたのに、翌日考え直したら高校生のとき読んだコラムと内容ほぼおなじジャン、、、とか。パクるパクらないなんて考えてもいないのに、無意識の領域ではこのくらい経験世界が強いちからを持っているんです。

 

 

では、いま一部ネットをざわつかせている件に関してはどういう解釈ができるのか。お料理に例えてみましょう。

料理っていろいろジャンルありますよね。和食とか中華とかフレンチとかイタリアンとか。

そのジャンル分けって何を基準にしているのかというと、調味料、食材、調理法その他いろいろの特徴がに通っているものをまとめているわけです、多分。料理を例に出しておきながらその辺り詳しくないので、皆さんで適宜補完してください。きっと地域ごとに取れる食材も気候も違うから、それに対応して調理法とか保管方法が発達していったとかなんでしょ。

で、例えば和食で使われる調味料や食材、調理法その他いろいろには和食らしい特徴があって、それを使うからこそ和食の良さが引き出されるはずです。優しい味付けのしかたとか、出汁のとりかたとかな。

それは洋食だって、中華だっておなじ。同じだし、逆に言えばその特徴を無視するとめちゃくちゃなことになる。寿司のわさびの代わりが爆裂に辛い唐辛子になったら、どう考えてもおかしい。

音楽でいえば、ジャンルごとに気持ちいいコードの使い方とか、リズムのとりかたとか、メロディの運び方とか、あるわけで。ブルースが12小節形式で進んだり、パンクが3コード中心なのが守られてきた、みたいな話です。それが似通っているからといって、パクリと判断してしまうのは、ちょっと違うのではなかろうか。

野菜の切り込み方が似ている!使っている肉の部位が同じ!出汁のとり方も同じ!調味料に至ってはメーカーも同じ!!パクリだ!!って、馬鹿でしょ。


ここまではジャンルわけという大きな枠組みでの話だが、もう少し細かいレベルの例え話もできる。

一口にラーメンが好き、と言っても更に細かい嗜好はあるでしょう。お店ごとに全然味付け違うもの。

自分がラーメン職人の卵だったとして、惚れ込んだ名店があったとしましょう。

その店の味が好きで好きでたまらなかったら、どういう味付けのしかたなのか、食材の切り方はどう工夫しているのか、じっくり研究するはず。通いつめて、調理している手元なんかも観察する。

もっと本気なら話しかけて実際にコツを尋ねたり、新作開発についてどのように取り組んでいるのかなんて話も聞いてみるでしょう。弟子入りもあるかも。で、それを自分の一杯にも活かしてみる。これは、心からのリスペクトがあって、それの表出した結果なわけです。そういうひとの作るラーメンはきっと美味い。


対して、パクリっていうのは、もっと姑息なものでしょ。

この店のスープいい味してるなあ、そうや、厨房に忍び込んで盗んでこよ!そのまま自分の店で売るのはさすがにまずいから自家栽培した野菜でもトッピングしたろ!^^

これでしょ。

そんなものいずればれるに決まっているし、ほっときゃ店も潰れる。

例えオリジナリティが強くなかったとしても、スタンスのあり方が魅力の有無に繋がるんです。

 


どうでしょうか。こんなに長々とかんがえましたが結局のところ、作った本人が何かしら発言しなきゃ僕ら消費者には真相なんて分かりません。

出された料理をウマイウマイと食べるだけでも良し、この食材の産地は云々と講釈垂れるも良し、です。そもそも嫌ならそんな店入らなきゃいいんだ、他の店なんてたくさんあるんだから。

そんなに騒ぎ立てることないよ。パクリだどうだ言ってる奴なんて、どうせ食べログとかでもどうでもいいようなレビューばっかりしてんだろどうせ。紛い物は淘汰される。

好きなものは好きでいたいよ。それだけでいいよ、ぼくは。