King Gnu、次の時代を担うってこういうことなんだなあ、って

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こんにちは。やっとですが書きます。書きますよ。KIng Gnuメジャー移籍後初のフルアルバム『Sympa』。聴きましたか。凄まじいの一言ですよ。

今回は、この一枚を踏まえた上でのバンドに対するレビューです。

 
究極のポップネス

『Tokyo Rendez-Vous』から約1年2ヶ月、あらゆる面で更なる高次元に突入している。ピッコロ大魔王の復活だぁーっ!って言ってる横で超サイヤ人になってるみたいな、そんなレベル。

全員のプレイヤーとしてのスキル段違いにアップしている。まあこのあたりについては僕はプレイヤーじゃないので他の方のサイトやらを参考にして欲しいですけど。それでも、この作品の奥行きは一度聴け分かる。

やっぱりね、バンドの首謀者常田大希、彼はやっぱり次の時代を担うよ。

この記事を書くにあたっていろいろレビューやインタビューを読んだんだけれど、常田のバランス感覚が素晴らしいな、ってのが一番に思ったこと。この記事のキーワードのひとつですよ、バランス。ちなみに二番目は井口めっちゃ太ったなあ、です。

メンバーの音楽的バックグラウンドはまちまちだけれども、それを前作以上にまとめ上げている。そしてその落とし込む先がちゃんと大衆に届くようにポップスになっていること。これがすごい。

Flash!!』や『Prayer X』ではロックのビートにブラックミュージックのベースラインをゴリゴリに乗っけている。歌謡的な美しいメロディを描いたり西洋音楽的にストリングスを盛り込んでいる。矛盾と整合が同時に存在している、とでも言うべきか。そしてそれがどんな面で切り取っても高いレベルで成立している。

 

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あらゆるジャンルを飲み込んで突き詰めることで、どんなジャンル畑の人でも聴けるようになっている。混沌を極めることで生まれるポップネス。こんなの普通は無理だろうよ。この危ういほどのバランスを可能にしているのは、やはり常田のバランス感覚があってこそのことだろう。このあたりはもうセンスと言ってしまうしかないのか、悔しいけど。多分このアルバムを聴いてバンド組もう!ってなるロック少年はいないだろうし、追随するバンドがいても追いつけないんじゃないかな。

あと、音楽ジャンルのクロスオーバー的な面以外にもバランス感覚の良さが伺える。常田は完全に社長タイプのクリエイター、井口はパフォーマー、勢喜と新井はミュージシャン。っていうふうにバンド内での役割が明確になっている。常田がメンバーを集める段階で、King Gnuというバンドとしての最大限の表現を可能にし、活動を拡大していくにあたり最良の人選をしている。それが今回バッチリ的中してる。

皆、常田の求める表現力やスキルを持っている上で、バンドに必要なポジションを確立している。

『It's a small world』『Slumberland』のMVよろしく、井口は道化というか完全にパフォーマーなんだな、と。メディア露出するときのバンドの顔になっている。

 
#本日の井口 なんかもうね、ミュージシャンじゃなかったらアウトでしょ、あれ。面白いからすべてOKだけど。彼には人間としてのパワー、注目を集める力がある。より多くのリスナーに楽曲を届けるにあたってはこの役割は他のメンバーにはこなせない。

勢喜と新井は、KIng Gnuサウンドを作り上げるのになくてはならない。ミュージシャンとして、職人気質の二人だ。グルーヴ感や曲の世界観の構築に必要。スキルがあるだけでなく、波長みたいなものが合うんだろうな。

そして常田。求心力があるし、彼にしか作れないものがあるのは、もはや言わずもがな。そしてメンバーの一番の強みを理解し活かす実力。例えば『Don't Stop The Clocks』は井口が歌いやすい音域、メロディラインとなるよう作曲されており、前作よりもメンバーの対する理解も深まっている。まさに井口の柔らかく艶っぽい歌声の本領発揮の曲である。

 

 

King Gnuのポップとロック

今作『Sympa』では混沌とするいくつもの要素をポップに落とし込んだ、って上でちょこっと書いたけれども、結局のところなんで彼らに熱狂する人が異常なスピードで続出するのか?ってことなんですよ。だって大衆はみんながみんな「ここのベースラインがすばらしい!このあたりはホニャララからの系譜を読み取ることができて~」なんて聴き方しないでしょ。なんというか、もっと根源的で普遍的なものに人間は魅せられるはずなんですよね。

このあたりはインタビューで常田が言っていたことをまとめているんだけど、まずはこの記事からの抜粋を読んで欲しい。www.cinra.net

そういうもの(自分が10代の頃聴いたバンドに抱いていた感情や魅力)って、自分にとってすごく重要なものなんですよね。自分自身が若い頃に聴いていた音楽、あるいは、その時代において若者が聴く音楽は、ものすごい求心力を持つものだと思うし、その求心力こそが「ポップス」だと思うんです。

そして、

ポップスを作るってことは、人とちゃんと向き合わなければいけないんですよね。語法としてポップスを取り入れただけだと、本当のポップスになりえない……それは、この1~2年で強く感じました。

 

このあたりの哲学は『Sympa』作中でも見受けられる。今回は前回よりもポップに聴きやすくなった分、角が取れたというか、先鋭的であって欲しかったという意見も見受けられたが、この変化は大衆の先頭に立つという宣誓のようなものだ、とも取れる。

前身バンドSrv.Vinciとか常田大希ソロプロジェクトのDTMP(Daiki Tsuneta Millennium Parade)ではかなり前衛的。まあ聴いてもらうのが一番早いが、もうこれは完全に時代を置いてきぼりにしている。完成度に比べ再生回数がこれほどまでに少ないのは、絶対これが原因。本人じゃなく時代がついていけてないのが原因。

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 今回のポップネスはいわば「下界に降りてきた」状態。この時代の若者、つまりシンパ(同志)を募る。そのための間口が広いポップスという形態を選んだのだろう。そういって個人と個人がつながっていき、そのつながる力がやがて大きな流れを生み、それは時代の流れとなる。

計4曲のインタールード『Sympa』のノイズは波形のイメージで、人と人が繋がるイメージだそうだ。モールス信号もモチーフにし、『Sympa Ⅰ』では救助を求め、『Sympa Ⅳ』で救済されるストーリーになっている。インタールードが楽曲をつなぐことで1枚の作品としての流れを形成し、1枚通して聴くべき作品になっている。歌詞も具体的になりすぎないように誰しもが共感できるように広がりを持ったものになっている。一曲ごとのつながり・流れがひとつの大きな作品を形成する。King Gnuの追求する人間同士同士のつながりがここに象徴されていると捉えるのは考えすぎだろうか。

 
そして求心力の源泉、個と個をつなぐ力。それがKing Gnuにはある。若さゆえのエネルギーだ。『Flash!!』はかつて憧れたロックバンドのかっこよさを現代のフィルターを通したものだし、『Slumberland』は「世間はいろいろあるようだけれど、こっちは今それどころじゃない!」という実に若者チックな宣誓とも受け取れる。この2曲はまさにバンドのアイデンティティともいえるような曲だ。ポップスに寄っていっても彼らがロックバンドとしての自覚を持ち続けるのは、このような若いエネルギーや泥臭さが根底に流れているからだろう。

 

 

これまでの伝説的なバンドってたしかに流行とかと離れたところで自分の哲学に忠実に行動してきたからこそ名を残している。流行とはかけ離れたところで突き詰めた信念を世に放ったバンドが、生き残ってる。

ヌーの群れの如き大衆をでかくして誰よりも高いところを目指す。King Gnuはもう先頭に立つ準備はできている。そりゃブレイクしないわけないよな。時代性も含めて、今まさに聴くべきです。