そ・つ・ぎ・ょ・う
大学がつまらなかった。
大学への道のりで、駅前から高速バスに乗る。峠を越すときに長い長いトンネルを通る。
トンネルは異世界との境界線の象徴である。川端康成の雪国にしろ、千と千尋の神隠しにしろ、別の世界に入るときにトンネルをくぐるというのは物語の中で異世界に向かっていることを表現する装置としてしばしば使われる。
大学がつまらなかった。
時々、バスに揺られながらこのトンネルの話を思い出していた。
どこにも行けない気がした。どこにも戻れない気もした。なんの目的もなく日々が過ぎた。たまに、浪人すれば良かった、と、ぼんやり考えた。
暑い暑い夏の日の大学の帰り道には、ランニングをする運動部に追い抜かれた。必死に走る後ろ姿を眺めて、無性に虚しくもなった。
なんなんだろう。何が不満だったのだろう。明確には分からない。でもとにかく、峠を越えてトンネルを抜けたときの、ため息が出るほどに山しかない世界が、何もない町が、嫌だった。3月の木々はまだまだ丸裸で、針葉樹の緑を縫うように山肌が見えた。
無理をしていた。
それでも好きだと言っていたかった。今思えば負担だった。卒業式の日、ふと「今日でやっと離れられる」と思っている自分に気づいた。
環境とは、つまるところ人間関係だ。
偏差値が、設備が、なんて言っても、結局は自分の近くにいる人がどれだけ自分と気があうか、居心地が良いか。余程極端な例でない限り、それが一番生活の質を左右するファクターになると思っている。
四年間で知り合った人たちを思い浮かべた。
まあ、嫌な人、苦手な人はいた。当時はそれでもその人の優れている面を探し、できる限り仲良くしようとしてた。今になってみれば全部無理してたのだけれど。自分で言うのも何だが、人当たりは悪い方ではないと思っている。
それよりも、無数の「善いひと」たちと接するとき、なんとなく、余所余所しさというか、薄い膜が張られているように感じられた。
それが自分の思い込みだったのか、本当に存在して私の侵入を拒んでいたのかは、分からない。その膜は自分自身が作り出していたのかもしれない。自覚なんてない。分からないことばかりだ。
でもとにかく感じていたのは、電磁石が急につかなくなってしまったような、他所の世界から訪れた居心地の悪さのような、「繋がらない感覚」だった。それが私の感じていた膜だった。
式の間、あるいはこうも考えていた。
人間にはそれぞれ心象世界、自分の中にそれぞれの世界があって、その世界の均衡を保とうと躍起になっているのではないだろうか。その概念的なトンネルを、誰にも通らせないようにしてたのかもしれない。被災して封鎖された山道のように。
「歴史は勝者が語る」
歴史というのは常に勝者の目線で残される。その裏には無数の敗北がある。物事を多角的に捉えるには、そんな背景に目を向けなければならない。
こんな引用を使って卒業生代表の答辞が述べられていた。彼女はしあわせな学生生活を送れたのだろうか。サークル、バイト、友達、恋人。満たされていたのだろうか。
僕は皮肉を込めて壇上の後ろ姿を見ていた。なんとなく、彼女から「お前は何も語る資格が無い」と言われている気がした。
卒業アルバムの撮影も卒業式後の祝賀会にも行かなかった。せめてもの意思表示だった。
最後にちらっとだけ、例のソーダ色の女の子のことを思い出した。彼女のいる別キャンパスは遠く、卒業生見送りに姿は見えなかった。そうだよな、と思い会場を後にした。9の嫌いなものと1の好きなもの、その1を否定したくなかったのかもしれない。
4年間、それなりに鈍く傷つき、人を愛した。それは変わらない。
もし他所から入ってきた誰かが、視界が開けたと思ったらずいぶん寂しくてつまらないところだな、なんて言ってきたとしても。
つまらん奴がつまらん場所をたつ。
今日はそんな日だった。