ひかるもの

 

どうも。ブログはじめました。さっき800文字くらい書いて調子出てきたところで不慣れが災いして下書き吹っ飛び、萎えております。

 

特に人さまに見せるようなことは書かないと思います。もっと文才があればいいのだけれど。

物好きな方がなんとなく暇つぶしに開いて読んでもらえりゃ上出来です。

 

ひとつ目の記事からこんなこというのも変な話ですが、これ読んでくれた方って多分キラキラしたものに対する耐性がかなり低い方、多いのではなかろうか。

だって僕がそうだから。

センター街を我が物顔で歩く若者とか、インスタで承認欲求と自己顕示欲を満たそうとあの手この手尽くす人とか、或いは終電間際に乗り合わせたカップルの幸せそうな様子とか。

かたちは様々あれど、手持ち以上の強度の光は、見た途端目をそらしたくなったり必要以上にイライラしたり終いにはジュッと塵芥のごとく消されるような気持ちになってしまう。

 

ひかり。

自信、魅力、エゴ、いい方向にも悪い方向にもいろいろ言い換えられると思う。それらを内包したいい言葉が浮かばなかったから、とりあえず抽象名詞で進めますね。

 

僕がこれまで手にしてきたものって、きっともっと背伸びしてなくて、朝帰りのアーケードで反射する太陽の眩しさとか、いつも乗るバスのシートの硬さとか、真夏の昼下がりペットボトルに結露した水滴とか、そういう些末なものごとにたまたま自分の感情が重なってできた瞬間のような、ちっぽけなひかり。

 

とは言え変なところばかり真面目だから、どうにかしてもっともっとを欲しがってしまう。人より時間がかかるし、比べてみるとなんとも頼りない。

 

そんな感じで捻くれているので、行き着いた先は、僕の場合は音楽だった。

音楽に救いを求めた人っていると思うんですよね。だから人に救ってもらえてない。

 

この「だから」の因果関係は、一見するとなかなか無理矢理にも見える。

そもそも音楽なんか生物が生きていく上で必要のないもので、それなのにある種の命綱のようになってしまっている。人生こなすのに向いてない不器用たちがたどり着いた先が音楽なんです。

だからこそ新規のファンに対して憤りも戸惑いも感じる。そりゃ自分の命綱を勝手に使われて「ウェーイwwwww縄跳びしよーぜwwwww」って言われてるような気分ですからね。

こちとら友達も多い方ではないし、人付き合いが苦手だ。はじめは楽しかった飲み会もだんだん面倒になって、一人にさせてくれ、って思ってしまって、一緒にいた人に気を遣わせてしまって、遣われてることにも気づいているから申し訳なくなって、あーもういや!って拗ねた帰り道は爆音のCRYAMY。てかそれモロ今日の研修あとの懇親会なんですけどね。

だから、そういう意味では、

 

「音楽に救いを求めるから人に救ってもらえてない」

よりは

「音楽に救いを求める人がいる。なぜなら、人に救ってもらえてないから。もっというと救われようとしてないから。」

って言った方がいいのかもしれない。

 

って言うと、不幸せという言葉を使いたくない自分が出てきて、より一層ややこしくしようとする。なんだってんだ。

 

それでも、自分の好きな曲くらいは裏切らずにいてくれるし、これを書いてたら地元の友達から電話がきた。

いじけてても嬉しいもんだ。

 

そんなものなのかね。

よくわかんないね。

って思った井の頭線でした。

 

 

.....ブログ第一回、締め方がよく分からないのでこれで終わりにします。まとまった文章って書くのに思ったより体力いるな。ひとつふたつならどうにかできるんだ、いくつも記事書いてきたひとほんとすごい。

別のアカウントで詩というか、散文みたいなのはつらつら書いたりしてるんだが、それとはまた違う難しさがある。やる気が続けばそっちで書いたやつも載せようかな。やっぱきもちわるいからやめよう。

読んでくださった方、ありがとうございます。暇なんだな。

また書きたいこと出てきたら書きます〜。

 

おわり