ナマクラの感性

今日は珍しく7時半には退勤して、9時には家には着いていた。時間がありすぎて戸惑うくらいだ。1月は9時〜23時半みたいな土曜が連続していたから、それもありすげえ!ってなった。

逆になにをすれば良いのかピンと来ず、小説を読んだがそれも小一時間で飽きたので、久々にブログの更新でもしようかと思い至った。とは言え大したことを言うつもりも無いし、元より言えない。

 

 

仕事

うーむこのままでいいのか.....?と最近よく考えてしまう。

何のために働いてるのだろうか。お金、やりがい、生活、自己実現なんてものか。

 

天秤にかけて考える。

続けるメリットは何だろう。この仕事を選んだのは同じことをアルバイトから続けているからで、やっていて楽しいのは確かに事実だ。生徒と直接関わる時間は、いい意味で「仕事をしている意識」は薄い。転職のリスクへの不安(まあ具体的になにも決まっていないことはおよそ不安ではあるが)

デメリット。うーむ。趣味の時間がとれない。地元から引っ越してきて、気軽にたくさんのライブを観に行ける距離にはあるが、その分だけ時間が無くなった。仕事の時間帯を考えても、仕事終わりにふらっと観に行く、なんてことも難しい。つーかふつうに休日ないし残業もある。たぶん。他の企業の実態は伝聞でしか知らないからどうとも言えないが。あと有給もとりづらい。あと体調が良くない。痩せた。

あとは、冷静に考えると企業の理念、価値観にそぐわないと感じることが増えてきた。例えば受験校の提案の内容や、体験授業の申し込みへの対応など、はじめは気にならなかった方向性のズレを感じてしまう。

 

この前、ツイッターを眺めていたら「大学時代は芸術に造詣の深い先輩が就職してからは仕事の話しかしなくなった」なんて内容のツイートを見つけ、他人事じゃねえなあ、なんて思った。コンビニで買った弁当と、Amazonのよく分からんブランドの炭酸水で割って作ったハイボールの食卓。適当に選んで垂れ流した音楽。

感性は、刺激を受け続けなくてはならない。しばらく使われていないフライパンとか、賞味期限切れの冷蔵庫の中身とか、部屋の隅に積もる埃とか、そう言った類と同様で、何も無い平坦な日々で刺激を受けていない感性は劣化を続ける。これは最近の実体験から感じ取った真実(少なくとも同じように感じられる人はいると思う)のひとつだ。

先日、coldrain主催のイベントBLARE FEST.で、Pay money To my Painが復活した。このバンドは高校生だった当時の自分を何度も何度も救ってくれた。日本のラウドロックの先駆者なんてよく評されるが、一度ちゃんと彼らの音楽を聴いたひとならボーカルであるKの人間性を骨組みとした、激しさのなかに悲哀や一筋の希望の込められた曲の魅力に気づくと思う。だいぶ月並みな言い方だが、それに尽きる。ボーカルのKは2012年にこの世を去り、翌年バンドは活動休止を宣言していた。BLARE FEST.当日のボーカルは親交のあるバンドからボーカルを招き演奏されたのだが、彼らは口を揃えてKの人間性の魅力を語っている。

こんなイベントが発表されたら、高校生の自分ならどう反応を示しただろう。おそらくこれを逃すと金輪際目にすることは叶わないステージだ。きっと、今の自分よりも必死になってチケットを手配するだろう。どうせ仕事だしなあ、とはなから諦めてツイッターをスクロールするだけ、ということはなかったはずだ。

 

良いと思えるものはその時に摂取しなくちゃならない、いずれ感じなくなるかも知れないから。

良いと思い続けるための努力も必要だよなあ、生きてるだけで家には埃が積もるみたいなもんだ。

何が一番大事なんだろうな、って思いながら夜だけが更けていく。そんなことを書いてるこれ自体も仕事の話ばかりで、自分でうんざりしてしまいそうだ。

 

ライブハウスでワンドリンクをちびちび飲みながら開演を待って爆音に包まれたいね、久しぶりに。

 

どうすりゃいいんだ教えて有識者