たきちゃん #1

という女の子がいる。海が好きだった。身体は丈夫なほうではなかったけれど、こころは誰よりも真っ直ぐで、自分の信念のために決断できる強さを持っていた。彼女のそんなところが好きだった。いまはもう連絡をとることはないけれど。でも、素敵な音楽を聴くときにふとあの子を思い出してしまうことがある、いまだに。

 

 

 

知り合ったきっかけはツイッターだった。

知ってのとおりツイッターはいろんな趣味嗜好や目的にあわせアカウントを使い分けているのが普通になっているが、わたしも例に漏れずリア垢や音垢など持っていて(どうでもいい話だが、アカウントを垢と略すのはどうにも好きになれない。垢て。もうちょい清潔感ある言い方にならなかったのか)、そのうちのひとつでたきちゃんと出会った。

そのアカウントは簡単に言うと絵やら詩やら音楽やらを発信している界隈に住み分けるもので、相互フォローしてたりリツイートされるものは特に一次創作の場合が多く、まあ言ってしまえば地獄である。素人が好き勝手に自分の癖のままに創作したものが朝から晩まで流れてくるんだから、数年後にタイムライン見せたら恥ずかしさのあまり耳を真っ赤にしてワークマンに直行してシャベル買って庭に墓穴を掘るに決まってるに決まってます。もちろん完成度の高いものや個人的に気に入るようなひともいるけれど、大半は中身としては「砂糖は甘いね~」って言っているのとそう大差ないような、いけ好かないようなものばっかりだった。そんなことを言いつつ自分も詩の真似事みたいな短文をちょくちょくあげていた。

ひねくれた詩だ。目的もない。読んで欲しいひともいない。そのとき感じたことをどうにか形にして残しておきたくて、私は文字を並べていた。もっと音楽が上手かったら曲にしていたかもしれない。絵をかけたなら絵を書いていただろう。なんでも良かったのかもしれない。私の感じることなんて大体はネガティブなものだった。正確には、残したい感情、か。理由は自分でもよくわからないが、とにかく、カティサークに沈んだレモンの頼りない黄色とか、庭先の名前も知らない果実の深い赤とか、四角い空の遠くに浮かんだ雲の曖昧な白とか、そういう些末なものごとに自分の感情を重ね合わせて保存したかった。

 


そんな場所で彼女と出会った。彼女の言葉もけして明るいものばかりではなかったが、どことなく浮遊感があり、その奥には反骨心が揺らめいているのがわかった。そんなところがほかの人たちとは明らかに違っていて、興味を持つには十分だった。

たきちゃんもほぼ同時期にアカウントを開設していたようで、お互いにいいねを送りあっているのが次第にコメントにかわり、仲良くなっていった。

 


 初めて実際にあったのは就活が始まったばかりの3月だった。待ち合わせは渋谷ハチ公前、その時期にしては風は暖かかった。私はおろしたばかりの真っ黒なスーツを着ていた。どうにも駅前で誰かを待つ人たちの中では浮いているように思った。そんなふわふわした場違い感のせいなのか、それとも当時東京なんて滅多なことじゃ来ないからなのか、必要以上に喧騒がうるさく感じられた。

 その日私は地元から昼行の高速バスに乗り、つぎの日の面接に備えて友達のうちに泊まる予定だった。高速を降りた頃、たきちゃんとのDMで、いま東京に着ていることを伝えたら、急きょ会えることになった。

 


たきちゃんは思っていたよりずっとかわいかった。黒で統一して、黒いキャップをかぶっていた。大きな目が印象的にひかっていた。私のスーツと色は同じなのに随分印象は違うものだな、なんて思った。

「思っていたのと違うね」と言うとたきちゃんも

「わたしもそう思った。てかスーツなんだね。そっか、就活中か。わたしは普段はもっとかわいい服着てるけどね。急いだから」

あとは簡単にあいさつを済ませ、近くのカフェに入った。階段を登ってドアを開けると中は落ち着いた雰囲気で、照明は薄暗かった。渋谷の地鳴りのような煩さとは切り離されたようだった。店員が注文を聞きにきたあと、私たちは互いの普段生活する環境について話した。なにせ会うのは初めてだったから。どんな街で生まれたのか、学校生活は、友達は、好きな歌は、知らないことばかりだった。そんなにたくさんの時間いたわけではないけれど、ひとつずつ話した。それがどこのお店だったかは、何故か全く思い出せない。でも不思議と昔からの友人と再会したような、優しい懐かしさみたいなものが漂っていた。

 

彼女は次の予定があったので、会っていた時間は正味40分くらいだった。階段を降りて雑踏のなかに戻り、また会おうね、と言って別れた。

 

たきちゃん #2 - シーラカンスは夢を見ている